■天保七年(1836)〜慶応三年(1867)6/14/ ■尾張名古屋出身 ■流儀・北辰一刀流 勤皇の志を持っていた佐野は篠原らと盟約を結び、伊東らと共に元冶元年 (1864)年の江戸での隊士応募に応じて上洛。近藤の信頼も厚く、伊東らとともに 御陵衛士となることは出来なかったが、幕府召抱えの際、幕臣になることを 嫌い反発する。京都守護職で大石鍬次郎、島田魁らに斬殺される。